令和6年6月から六条公民館にて歴史講座が開催されます。時間軸と空間軸が交差する六条公民館がタイムスリップのゲートウェイ。時間旅行の先は、どうやら平安時代から鎌倉時代。平家物語の出来事スポットを巡る旅みたいです。ツァーガイドは稲葉友昭氏。参加料無料。事前申し込み不要ですが、毎月第3木曜日の午後2時までに六条公民館へ集合とのこと。時間旅行のため、時間厳守で出発するみたいです。・・・と、なぜか番宣の新聞が届きましたので、ご披露いたします。
R6.01.18(木)六条公民館にて歴史講座が開催されます。福井県が輩出した由利公正を題材に講演されるそうです。なぜか当日の新聞が届きましたので、ご披露いたします。
トマトには、大玉トマト・中玉トマト・ミニトマトと、どのサイズのトマトでも、開花から結実までにかかる時間は、そう変わりません。トマトの花は、開花から3日~4日が寿命といわれています。
開花から7日~10日経ったものであれば、実が少し膨らんだ状態になるため、確実に着果したかどうかが分かるようになります。
結実して収穫できるまでの期間は、トマトの実のサイズや品種により違います。
大玉トマトが一番時間がかかり、ミニトマトが一番短いです。大玉トマトが40日~60日、中玉トマトが30日~50日、ミニトマトが20日~45日ぐらいです。
我が家のトマトはかなり大きくなってきました。確認できてから10日は経過しているため、あと3週間後には至福の時を経験できそうです。
むふふです。
タマネギの球が肥大し始めるのは気温と日長と深い関係が深いです。
例えば福井県には、中生種が適しています。中晩生種の球が肥大を始めるのは、気温が15℃~20℃、日長が11~12時間です。福井県では4月下旬になると、この条件に当てはまり、タマネギの球が肥大し始る時期となります。
ここ10日間は真夏日になるなど気温の上昇が早まっていました。そのため、例年より1週間から10日ほど球肥大が早まっています。
昨年の10月下旬から11月初めにかけ、苗の大きさを選別し、同じような大きさの苗を植え付けました。冬に肥料切れをおこすと、とう立ちしやすくなるため、追肥には十分気をつけました。
冬までに充分に根を張っていないと、タマネギが大きく肥大できないとも聞いていたので、苗を植え付けてから2週間後の1回目の追肥、2回目の追肥は1月の下旬に、3回目の追肥(止め肥)を3月の上旬に行いました。
あとは、収穫タイミングを逃さないよう倒伏してから1週間の間の天候の良い日を逃さないようにしたいと思います。余伸ばしすぎて裂球するのだけは避けたいと考えています。
どうやらミカンにも「表年」と、収穫量が少ない「裏年」が交互に繰り返されるみたいです。我が家のミカンの木も昨年は不作でしたが、今年は沢山の花を付けました。
不思議なことに、「表年」と「裏年」は日本の全てのみかんの木に共通しているみたいで、近所のお家のミカンも昨年は不作でした。1年ごとに増減を繰り返しており、隔年結果が全国で一斉に起きているみたいです。不思議ですね。
隔年結果の原因は厳密には分かっていないそうですが、一つ目は、気温や降水量が年によって異なるとのこと。それによって花の付きやすさが変化し、結実する実の数に影響を与えると考えられています。
二つ目は、前年の冬に実をつけた枝には花が咲かないというみかんの性質が原因と推測されています。つまり、すべての枝にみかんの実がなった場合には、その翌年は花が全く咲かなくなるということです。
気温や降水量などの自然条件はどうにも変えようがありませんが、二つ目が原因であれば、なんとか人為的にコントロールできそうな気もします。
ともあれ、我が家のミカンについて今年は期待できそうです。
長期予報では大雪になる?
11月は平年同様くもりや雨の日が多く、12月は平年に比べくもりや雨または雪の日が多いと予報では伝えています。 気温は平年並みまたは平年より低い確率がともに40%。降水量は平年並みまたは多い確率ともに40%の予想。 来年2月までの寒候期予報も合わせて発表され、来年の1月と2月も平年に比べてくもりや雪、または雨の日が多く、降雪量は平年並み、または多い確率ともに40%と予想しているみたいです。
ならばと言うわけで、天気も良かったので、先日カットしておいた部材を組み立て、波板を張りました。下屋が予想以上の雪にも耐えられるよう雪囲いの柱を9cm角にしました。上半分は開けておくことにしました。
3年ぶりの開催となった『彦根の城まつり』に行きました。お目当ては、彦根鉄砲隊の演舞でしたが、その数分前に彦根消防団による梯子乗りを見学することが出来ました。勿怪の幸いでした。しかし、未だコロナ禍とあって全体の規模は若干縮小されていました。
井伊の赤揃えで登場した鉄砲隊。弾と火薬を銃口から込める、いわゆる形式上、前挿銃です。鉄砲隊員は、火皿に口薬を入れた後、火蓋を閉じ、火縄を火鋏に付けます。このあと、構えて、射撃のチャンスを狙います。そして、指揮官から「火蓋切れ」の号令がでたところで、火蓋を開ける、そして、「放てー」の命令で発射します。
写真は、向かって一番左の人が撃ったところですが、火縄から火皿に点火された瞬間で、まだ銃身の中の炸薬には発火していません。その後、炸薬に引火し爆発。銃身から火が飛び出しています。貴重な瞬間を捉えることが出来ました。
話は前後しますが、この、「火蓋を切る」とは、射撃の直前に、射撃体勢に入ることであり、それが転じて、「戦いが始まった」と言う意味になったと言われています。
ここで注意が必要なのは、よく『火蓋が切って落とされる』という使い方をされる方がいますが、これは、「火蓋を切る」と「幕を切って落とす」が混同した言い回し、誤用です。「幕を切って落とす」は、「はなばなしく物事を始める」「はじめて公開する」という意味の言葉。「火蓋」は、火縄銃の部品のことですから、戦いを始めるという意味なら、「火蓋を切る」とするのがふさわしいのです。火蓋を「切って落とす」と銃は使い物になりません。
うーん、痛そう。